東京高等裁判所 昭和44年(ネ)1592号 判決 1976年7月19日
控訴人(被申請人) 東亜石油株式会社
被控訴人(申請人) 高山堯外三名
主文
原判決を取り消す。
被控訴人らの申請を却下する。
訴訟費用は第一・二審とも被控訴人らの負担とする。
事実
控訴代理人は、主文と同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び疎明関係は、次に付加するほか、原判決の事実摘示と同一(ただし、原判決四枚目裏四行目に「昭和三一年」とあるのを「昭和三二年」と訂正する。)であるから、これを引用する。
理由
(被控訴人高山の申請について)
一 控訴人(以下「会社」ともいう。)が、その従業員で川崎製油所に勤務する被控訴人高山に対し、昭和三九年一〇月一日付で本社への配転命令を出したところ、これに従わなかつたので、昭和四〇年五月一二日同被控訴人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
二 そこで、右解雇の効力につき判断する。
(一) 同被控訴人が、昭和三五年八月一日会社に入社し、川崎製油所製造部試験室の係員としてガスクロマトグラフによる組成分析等に従事していたことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証、乙第二号証によれば、会社の就業規則には、その第六六条第一項に「業務の都合により従業員に対し任免を行い転勤、職場、職務の変更を命ずることがある。」との規定があること、高山は、入社に際し、「会社の諸規定を守り、会社業務の都合により出張又は各地事業場に転勤する場合異議を述べない。」旨の誓約書を、身元保証人二名とともに連署の上、会社に差し入れたことが認められる。
したがつて、高山は、右規定により転勤及び職務の変更(これらを以下「配転」という。)を命ぜられたときは、右命令が労使間の信義則に反する等特段の事情がない限り、これに従うべき労働契約上の義務がある。
(二) そこで、本件配転命令が、右規定にいう「業務の都合」によるものであるか否かにつき検討すると、成立に争いのない乙第三三号証、第六〇、第六一号証の各一・二(第六〇号証の一は渡辺三郎の供述部分のみ)、原審証人渡辺三郎、同成島龍雄、当審証人渋谷達彦、同百武寛、同岡本久信の各証言及びこれにより成立を認め得る乙第六五ないし第六七号証、第一一九号証により、次の事実が認められる。被控訴人高山の原審・当審尋問結果及びこれにより成立を認め得る甲第五三、第六八、第一一三、第一四〇号証(いずれも同人作成の陳述書)中右認定に反する部分は、前記疎明と対比して措信し難く、他に同認定を動かすに足りる疎明はない。
1 石油会社におけるセールスエンジニヤとは、販売に関与する技術者であり、商品に関する学識・経験により顧客の信頼を得ながら、一般販売員の販売活動を援助することを目的とし、その業務内容としては、新規需要先の開拓、市場調査、商品に関するクレームの処理、技術者会議への出席等が挙げられる。
控訴会社においても、昭和三二年から本社潤滑油部に販売技術課を設け、燃料油及び潤滑油に関するセールスエンジニヤ業務を行なつていたが、わが国におけるLPガス(プロパンガス)の需給量は、昭和三七年ごろから急激に増加し、これに対処するため、業界各社は、LPガスのセールスエンジニヤを設置する必要に迫られるに至つた。
2 そこで、会社は、LPガスセールスエンジニヤを本社潤滑油部陸上課に設置することを昭和三九年春ごろ決定した。当時、陸上課にも、LPガスの販売を担当していた本社第一及び第二販売部にも、LPガスの専門技術者がいなかつたため、会社は、川崎製油所でLPガスを取り扱つている技術者の中から右候補者を選ぶこととし、(1)LPガス専門の技術者であること(2)大学の技術系を卒業し、化学を履修していること(3)年令・社会経験が若すぎないこと(4)本社への通勤が可能であること等の観点から、被控訴人高山を選出した。
なお、会社は、毎年三・四月ごろ定期的な人事異動を行なつて来たが、昭和三九年は、春闘の影響や大量の新規採用者があつたこと等により定期異動が遅れ、本件配転命令は、同年一〇月一日付で実施されることとなつた。
3 高山は、昭和七年生れで、昭和三〇年三月東京理科大学化学科を卒業した後、昭和三二年一月早稲田大学理工学部応用化学科燃料化学研究室(山本・森田研究室)に実験助手として就職し、石油系炭化水素を原料とした合成ガス及び都市ガスの製造、右ガスの分析、触媒の研究等の補助的業務に従事した後、昭和三五年八月一日会社に入社した。同人は、その後、川崎製油所の試験室で各種試験を実習し、交替勤務者として約半年間一般工程試験に従事した後、ガスクロマトグラフ(以下「ガスクロ」という。)によるLPガスの組成分析等に携わつていた(以上3の事実は、当事者間に争いがない。)。
したがつて、同人は、LPガスに関する豊富な専門的知識と経験とを有しており、また、住所は東京都文京区内であつたので、その年令・学歴の点も含めて、前記2の選考基準に合致する最適任者であつた。
以上の認定事実によれば、高山に対する本件配転命令は、前記就業規則の規定にいう「業務の必要」により発せられたものということができる。
(三) 被控訴人高山は、同人を技術者として採用する旨の雇傭条件であつたから、専門技術を要しないLPガスセールスエンジニヤとして労務を提供する義務がなく、したがつて本件配転命令に従う義務がない旨主張する。
しかし、LPガスセールスエンジニヤが専門技術的知識経験を必要とすることは、前に認定したところであり、前記甲第五三、第六八、第一一三号証、乙第六七号証、成立に争いない甲第八三号証の一、二、当審証人甲斐種千代の証言及びこれにより成立を認め得る乙第九五号証、前記渋谷、百武各証人の証言、被控訴人高山の原審・当審尋問結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。前記甲第五三、第六八、第一一三号証及び被控訴人高山の原審・当審尋問結果中この認定に反する部分は措信し難く、他に同認定を動かすに足りる疎明はない。
1 高山は、昭和三〇年三月に大学を卒業後昭和三一年一二月まで群馬県の郷里で農業に従事し、その間昭和三〇年一〇月から昭和三一年三月まで東京都中央区所在の文海中学校に教員として勤務した。
2 同人は、早稲田大学理工学部教授森田義郎の親戚であつたため、昭和三二年一月前記研究室に実験助手として採用されたものであるが、実験助手は、理工学部助手とは異り、教授が研究を行なうに際し実験等の補助的作業に従事するもので、高山が右研究室で行なつた業務もかかる種類のものであり、高度な専門技術的研究ではなかつた。
同人は、日本化学会の三三年会及び三四年会の研究発表講演会で研究を発表した。日本化学会には、化学または化学工業について学識または経験のある者、および、化学または化学工業に密接な関係のある者ならば誰でも正会員の紹介で入会できるものであつて、会員数は三万五〇〇〇人以上あり、年一回年会を開きその際会員の研究発表の講演がなされるのである。したがつて、右講演会では特別講演を除きさほど高度の内容の研究発表は行われない。被控訴人高山らが発表した研究もその原理は既に周知のところであつて、実験内容も特別に高度の知識経験に属するものではない。また、年会において大学に在学中の一般学生もしばしば発表をしていた。
3 控訴会社の百武建設部長は、昭和三五年春森田教授に対し、翌年三月の卒業生の中から控訴会社に就職する希望者の斡旋を依頼したところ、同教授から、高山が三年余り助手をしておりどこかへ就職させなければならないが、余地があれば控訴会社で採用してほしい旨の申入があつた。そこで、会社は、これを受け入れ、翌年三月に卒業見込の学生と一緒に高山の就職試験を行ない、その結果同人を採用するに至つた。
したがつて、会社は、高山の専門技術を必要として同人を招へいしたものではなく、百武部長ないし社長が高山に対し技術者として採用する旨の雇傭条件を約束したような事実はない。
4 入社後、高山が従事した仕事の大部分は、ガスクロによるLPガスの組成分析であり、研究的な試験は副次的なものに過ぎなかつた。
前者は、LPガスの製品規格を満足させるため及びプラツトフオーマーの運転管理上各種ガスの組成を知るために行なわれたのであるが、ガスクロとは、小型の機器で、これに試料を入れると、当該物質の各組成分子の量に応じた波を指針がグラフ上に順次記録する装置である。ガスクロ担当者は、右波の面積を計算して組成の割合を算出するのであり、二箇月程度でその操作に習熟し得るものであつた。
高山の行なつた仕事のうち研究的な試験として、軽質ナフサの組成分析が挙げられる。当時は、ガスクロによる軽質ナフサの分析法が確立していなかつたのであるが、高山の行なつた分析法は、軽質ナフサを精密分溜装置にかけ、狭い沸点範囲のものに分取した上、そのひとつひとつを充填カラム式のガスクロで分析するという手法であつた。しかし、右手法は、分析のために非常な長時間を要し、また分析精度の点でも問題があつて成功するに至らないうち、本件争議のために試験は中断された。
5 高山は、昭和三七年度から昭和三九年度まで石油学会第五分科会組成分析専門委員会の委員であつたが、石油学会とは、石油業界の協会的な連絡機関であり、高度の学術的研究を行なう機関ではなかつた。右学会は、第一部会から第一〇部会まであり、さらに、分科会と専門委員会とに分れ、石油会社は、各部会・専門委員会に一名宛担当者を参加させていたが、専門委員会は、分科会で選択した研究テーマ等に関し各社の資料を提供する等の仕事をしていた。
以上の認定によれば、被控訴人高山は、大学を卒業した後適当な就職先がなく、森田教授の実験助手としてその研究実験の補助をなし、一般卒業者と一緒に採用試験を受けて控訴会社に採用されたものであり、その技術知識を見込まれて招へいされたものではなく、技術者として処遇することの約束もなかつたと見られるのである。また、控訴会社が、特殊な専門技術部門を有してその担当者として高山を充てていたと見るべき資料もなく、同人が、特殊で狭いが極めて高度な知識経験を有していたと認めることもできない。
したがつて、高山の前記主張は理由がない。
(四) 被控訴人高山は、また、本件配転命令は、同人の活発な組合活動特に東亜石油川崎製油所労働組合(以下「組合」又は「製油所組合」という。)と東亜石油労働組合(以下「本社組合」という。)との統一活動を封ずるために発せられたものであるから、不当労働行為として無効である旨主張する。
高山が昭和三七年二月から昭和三八年一月までの間製油所組合の執行委員長であつたことは、当事者間に争いないが、前記甲第五三、第一一三号証、乙第六〇号証の一・二、いずれも成立に争いのない甲第四、第五、第七一号証、乙第五八号証の一・二、第五九号証の一ないし三、前記渡辺、成島証人、原審証人駒井長一郎の各証言及び被控訴人五十嵐(原審)、同高山(原審・当審)、同昼間(当審)の各尋問結果に弁論の全趣旨を総合すれば、高山は、その後本件配転命令が発せられた昭和三九年一〇月までの間同組合の役員ではなかつたこと(同人は、昭和三八年一月下旬に行なわれた組合役員の予備選挙で執行委員の候補に当選したが、健康を害しているとの理由で、直ちに選挙管理委員長に宛て辞退届を提出し、その中で、「小生に執行部を勤めよという事態になりましたならば、この辞意は変らぬ故、本辞退届をもつて組合脱退届にかえさせて頂きたく思います。」とまで記載し、辞意の固いことを強調している。)、高山は、昭和三七年以降全石油産業労働組合協議会教宣部の発行する全石油月報の編集委員、昭和三八年ごろ以降製油所組合の教宣部員であり、また、闘争時には統合部副部長であつたが、特に目立つような組合活動をしていたものではないこと、高山は、配転を拒否する理由として、最初のうちは、後記(六)のとおり、同人がセールスエンジニヤに適していないことのみを挙げており、高山ほか二名に対する配転命令に抗議するため組合が会社に宛て発した昭和三九年一〇月一〇日付申入書(甲第五号証)では、本人の意志を無視したことのみを問題としていること、高山自身が配転拒否理由を詳細に記載した会社宛ての同月三〇日付手紙(甲第四号証)には、その末尾に「労働組合との関係」を挙げているが、その要旨は、「組合役員の前歴がある者を事前の話合もなく配転することは、他に不安を与える。」というのであり、右拒否理由として列挙されたもののうち「本人に事前の相談がなかつた。」ということに最大の力点が置かれていること、そして、高山の配転が本社組合と製油所組合との統一に対する妨害であるとの主張は、その後になつてなされるに至つたものであること、両組合の統一は、かねてから両組合間で話題に上つていたが、昭和三八年の夏季一時金闘争の時に改めて右統一が主張され、同年の年末一時金闘争及び昭和三九年の春闘において、両組合は、統一要求の統一団体交渉を行ない、統一の気運が高まつたこと、昭和三九年九月一二日に開かれた本社組合の定期大会では、統一を同年一〇月中に実現しようとの決議がなされ、同年九月二一日に開かれた製油所組合の定期大会に本社組合の三役が出席して統一の申入をなし、製油所組合もこれを了承したこと、ここに統一準備委員会が結成され、両組合から各三名の委員が出て構成され、製油所組合からは被控訴人である川崎副委員長同じく昼間書記長、市川調査部長がこれにあてられたこと、同年一〇月三日に第一回統一準備委員会が開かれ、一〇月中に統一することを目標に努力すること、規約起草委員会を発足させることなどが決定されたこと、一〇月中の統一は達成されず、翌年一月に至り組合の統一は不成功に終つたことが認められる。しかし、被控訴人高山が、昭和三八年一月に組合の執行委員長を辞任後昭和三九年一〇月までの間右統一のための諸準備において責任ある地位につき重要な役割を果していたと認めるべき資料はなく(この点に関する被控訴人五十嵐の原審、同昼間の当審尋問結果は措信し難い。)、また、会社が右段階における被控訴人高山の活動状況を知つていたと見るべき証拠もない。
右認定事実に照らすと、本件配転命令が高山の組合活動を封ずるために発せられた旨の主張に副う前記甲第五三、第五四号証、被控訴人昼間の当審尋問結果及びこれにより成立を認め得る甲第一二一号証、被控訴人高山の原審・当審尋問結果は、いずれも措信し難く、他に同主張事実を認めるに足りる疎明は存しない。そして、前記(二)に認定のとおり、本件配転命令は、会社の業務上の必要に基づいて発せられたのであるから、右命令が不当労働行為であるとの主張は理由がない。
(五) 会社の就業規則によれば、転勤を命ぜられた従業員は、受命の日より一週間以内に出発し、速かに赴任すべきものとされ(第六六条第二項)、懲戒解雇事由の一として、会社の指令命令に従わず故意に職場の秩序をみだした者が挙げられている(第一一〇条第四号)ことが、前記甲第二号証により認められる。
ところで、前記(一)(二)の認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、高山は、本件配転命令により、本社潤滑油部陸上課において勤務する労働契約上の義務があるのに、右命令に従わず故意に職場の秩序を乱したものと認められるから、同人には前記就業規則上の懲戒事由が存するものと言い得る。
(六) また、高山は、右配転を拒否したことは懲戒解雇に値するほど重大なものではないから、本件解雇が権利の濫用で無効であると主張する。
そこで、本件配転命令に関する高山及び組合と会社との交渉経過を見ると、いずれも成立に争いのない乙第九ないし第一二号証、第一四号証、第五四号証の一ないし一〇、前記乙第六〇号証の一(渡辺三郎の供述部分)・二、第六一号証の一、第六七号証、証人渡辺三郎の証言により成立を認め得る乙第一二一号証、前記渡辺、成島、渋谷、甲斐各証人の証言により、次のとおり認められる。前記甲第五三、第五四、第六八号証、成立に争いのない甲第六七、第六九号証及び被控訴人高山、同五十嵐、同昼間の原審・当審尋問結果中この認定に反する部分は、前記疎明と対比して措信しない。
1 高山は、昭和三九年一〇月二日杉浦所長から本件配転命令を告げられ、これに従えない旨を直ちに表明したので、同所長をはじめ、高山の直属上司である立川課長、渡辺事務部長、近藤常務取締役、成島専務取締役らが、同年一一月一九日までの間それぞれ高山に面接の上、配転の理由等を説明して説得に当つた。これに対し、高山は、当初、自分は話すことや字が下手であり、性格もセールスエンジニヤに向かないとの理由で配転を拒否していたが、その後、会社は技術屋を軽視している、組合役員の経歴があるために配転されたとの不安を組合員が抱く等の拒否理由を追加し、また、会社が、成島人事部長名の書面をもつて、再三にわたり高山に対し配転に応ずるよう催告したけれども、高山は、これに応じなかつた。
2 会社は、高山の配転問題につき、昭和三九年一〇月八日組合から労使懇談会(以下「労懇」という。)を開くことの申入を受けたので、これに応じ、同月一〇日以降昭和四〇年三月二三日まで一三回にわたり労懇を開催し、その席上配転の理由、必要性等を説明した。これに対し、組合は、配転の白紙撤回を求めるのみであり、会社との話合は進展しなかつた。その後開かれた春闘に関する団体交渉においても、同年五月八日までの間一九回にわたり右配転問題につき話合が持たれたが、組合の前記要求は変らなかつた。
そこで、会社は、同月八日文書をもつて、高山に対し、同月一一日午前九時までに配転命令に応じない時は懲戒解雇する旨を警告したが、高山がこれに応じなかつたため、会社は、同月一二日高山に対し本件懲戒解雇を通告した。
右認定事実によれば、会社は、高山に対し、本件配転命令に従うよう説得を尽くし、また、組合とも配転問題につき一〇回以上話合の機会を持ち、発令後七箇月余も経過したのであるが、高山が同命令に従わなかつたため懲戒解雇に及んだものであり、右交渉の経過に本件配転の必要性及び高山がこれを拒否した事情に関する前認定事実を総合するならば、右懲戒解雇が権利の濫用であると言い得ないことは明白である。高山の右主張は理由がない。
(被控訴人五十嵐、同川崎、同昼間の申請について)
一 組合が昭和四〇年四月から六月初旬にかけストライキ、残業拒否闘争等の争議行為を行なつたこと、当時被控訴人五十嵐、同川崎、同昼間(以下「被控訴人三名」という。)が会社の川崎製油所に勤務し、組合の役員(五十嵐が執行委員長、川崎が執行副委員長、昼間が書記長)であつたこと、会社が同年六月一日右三名を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。
二 そこで、まず、右争議をめぐる会社と組合との交渉経過及び争議の模様につき検討する。
(一) 争議の経過
成立に争いのない甲第一〇号証、乙第一七号証、第六〇号証の二、原審証人渡辺三郎、同成島龍雄、同駒井長一郎、同沢田一雄の各証言及びこれにより成立を認め得る乙第三、第一八、第一九、第二五、第二六、第三二、第六三、第六四、第一二一号証に弁論の全趣旨を総合すれば、本件争議の経過として、次の事実が認められる。
1 本社及び製油所の各組合は、昭和四〇年三月一三日同一書面(甲第一〇号証)をもつて、会社に対し、春闘の要求を提出した(右事実は、当事者間に争いがない。)。右書面には、両組合の統一要求として、賃金増額、住宅手当増額、食費の一部会社負担、労働時間短縮の四項目が記載され、製油所組合独自の要求として、高山配転反対と事前協議制の確立その他八項目が記載されていた。右「事前協議制の確立」とは、全組合員の異動につき予め組合と協議するとの意味であるが、これより先、会社と組合との間には、組合執行委員の異動につき予め組合と協議する旨の協約が昭和三九年五月三〇日に成立している(右協約成立の事実は、当事者間に争いがない。)。
2 両組合は、前記統一要求の四項目につき、共闘の形をとつて会社と交渉したが、本社組合は、昭和四〇年四月二八日の団体交渉で会社の回答を概ね了解して製油所組合との共闘を解消し、同月三〇日妥結した。右妥結による賃上高は、同業他社のそれと比較してかなり高いものであつた。
他方、製油所組合は、会社との間で、前記一三項目の要求につき、同年三月一三日以降同年四月三日まで三回の労懇及び二回の団体交渉を経て、同月六日スト権を確立し、同月九日以降同年六月五日までの間一四回にわたりストライキを行なつた。右ストライキの主たる目的は、賃上げ等の経済的要求と高山配転の撤回要求(これは、事前協議制確立の要求と一体をなしていた。)とであり、同年四月三〇日前記のとおり本社組合が会社と妥結した後は、組合の闘争主目標は高山配転の撤回要求のみとなつた。
組合は、前記スト権確立の翌日である同年四月七日以降ストライキが解除された同年六月五日までの間二四回にわたり会社と団体交渉を行なつたが、配転が撤回されない限り春闘は解決しないとの態度を譲らなかつた。これに対し、会社は、「(1)高山は組合役員ではないから、その配転は事前協議の対象とならない。(2)就業規則の規定上、会社は、業務の都合により従業員の配転を命じ得るのであり、また、高山は、入社の際、転勤に異議を述べない旨の誓約書を差し入れている。(3)高山の配転については、すでに労懇で協議を尽くしている。」との理由で、右配転問題は、そもそも団体交渉の対象とならず、また、配転を撤回することはできないとの考えであつたため、配転問題に関する団体交渉においては、労使双方の主張を繰り返す程度で交渉が進展しなかつた。そこで、会社は、昭和四〇年四月二四日の団体交渉において、組合に対し、高山問題も含め前記春闘の全要求につき労働委員会の斡旋を申請することを提案したところ、組合は、第三者の介入は困るとの理由でこれを拒否したので、会社は、同日神奈川県地方労働委員会に対し前記一三項目の要求につき斡旋の申請をし、その後の団体交渉においても斡旋に応ずるよう組合に求めたが、組合は、これを拒否し、ストライキを繰り返した。
3 当時の石油業界は不況であり、会社も、昭和三九年三月期ごろから赤字経営で無配を継続する状態であり、本件争議が長期化すれば倒産するおそれがあつた。
そこで、会社は、昭和四〇年五月九日川崎製油所の作業所閉鎖を行なうに至つたが、組合は、これと同時に無期限ストライキに入り、後記(二)(三)のとおり保安要員引揚の挙に出た上、非組合員の就労を妨害した(ロツクアウト及び保安要員引揚の事実は、当事者間に争いがない。)。
組合内部においても、本社労組が妥結してからは、組合の闘争方針を批判する声が次第に高まり、同年五月二五日約七〇名の組合員が組合を脱退して新組合を結成し(新組合結成の事実は、当事者間に争いがない。)、新組合は、前記要求につき即日会社と妥結した。新組合員が翌日から就労しようとした(同事実は争いがない。)ところ、旧組合員は、これを阻止し、また、ローリー車による出荷を妨害したが、その状況は、後記(三)のとおりである。そして、被控訴人三名は、組合三役として、これら争議行為の企画、指令をなし、又は実行したのであるが、本件ストライキは同年六月五日に漸く終結し、会社は、同月八日ロツクアウトを解除した。
4 本件争議のため、石油の精製業務が四〇日以上の間停止したので、会社は、需要家に対する安定供給義務を全うするため及び海外の原油業者や原油輸送業者と結んである長期の購買、運送契約を履行しないことによる違約金の支払義務を免れるため、他の石油業者に委託して原油精製をせざるを得ず、その結果、委託料、運賃、工場固定費等の総額は二億六〇〇〇万円以上に達した。また、右争議による製油装置の陳腐化、機器類の補修費等は一億円を越え、会社の需要家に対する信用の失墜は甚大であつた。
なお、被控訴人三名は、「会社が高山の配転問題につき団体交渉を拒否したため、組合は本件争議に及ばざるを得なかつた。」旨主張するので、この点につき判断する。
右問題につき、組合の要求によつて昭和三九年一〇月一〇日以降昭和四〇年三月二三日までの間一三回にわたり会社と組合との間で労懇が開かれ話合がまとまらなかつたことは、被控訴人高山の申請に関する判断二(六)2で認定したところであり、前記乙第一七号証及び渡辺証人の証言によれば、労懇は、その構成委員、付議事項等において団体交渉とほとんど変らないことが認められ、これらの事実に、右労懇の後に行なわれた団体交渉においては配転問題につき労使ともに主張を譲らないため話合が進展しなかつたとの前記2の認定事実を総合すれば、会社が同問題につき団体交渉を拒否したものとは認められないのであつて、前記甲第五三、第五四、第六七、第六九号証及び被控訴人五十嵐(原審)、同昼間(原審・当審)の各尋問結果中この認定に反する部分は措信しない。したがつて、被控訴人三名の前記主張は理由がない。
(二) 保安要員の引揚げ
成立に争いのない乙第五号証、第二一ないし第二三号証、第三一、第四八、第七一号証、第七三号証の一・二、第七五、第七六号証、第七八ないし第八二号証、第八四号証、第九四号証の一・二、原審証人矢野光輝、当審証人高橋秀男、同増田嘉男の各証言、右証言及び弁論の全趣旨により成立(検乙号証については前記付陳事実)を認め得る乙第三七ないし第四一、第六八号証、第六九号証の一・二、第七〇、第七二、第七四、第七七、第八三、第八五ないし第八八、第九一ないし第九三、第一〇〇、第一〇一、第一一〇、第一一四号証、検乙第五九ないし第六八号証に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。被控訴人五十嵐の原審・当審尋問結果及びこれにより成立を認め得る甲第七四、第一四二号証中右認定に反する部分は、前記疎明と対比して措信し難く、他に同認定を動かすに足りる疎明はない。
1 会社と組合との間には、昭和三一年六月二三日締結された保安協定があり、争議中であつても、会社及び組合が必要と認めた事業場における安全保持のため、施設の正常な維持又は運営に従事する者として、各課係別の協定勤務者(保安要員)が定められている。そして、その後に行なわれた争議の都度、右協定に従つて組合から保安要員が提供され、争議中の保安業務に当つて来た。
本件争議の際も、組合から保安要員が提供されていたが、昭和四〇年五月八日の団体交渉の席上、会社が組合に対し翌九日午後五時以降紛争解決まで作業所を閉鎖し組合員による操業を停止する旨通告したところ、組合は、ロツクアウトをすればその時より組合員全員の無期限ストライキに切りかえ保安要員を全部引き揚げる旨回答し、九日午後五時より一切の保安要員を引き揚げるに至つた。会社は、右回答を受けた後口頭で、また同月一四日付文書で、組合に対し保安要員の提供を求めたが、組合は、争議終了まで約一箇月間これに応じなかつた。
2 川崎製油所では、輸入した原油を精製し、LPガス、揮発油、ジエツト燃料油、燈油、軽油、重油等を大量に生産していたが、これらの物質が可燃性、引火性の強い危険物であることは周知の事実であり、そのため、その取扱等につき種々の法的規制が設けられている。そして、同製油所は、京浜工業地帯のほぼ中央にあり、その近隣には石油精製の大工場が密集し、石油化学の大コンビナートを形成していた。したがつて、万一製油所から火災、爆発等が発生し、早期消火に失敗するならば、大災害を起し、多数の人命をはじめ、工場施設や地域社会に甚大な被害を及ぼすに至ることは、明らかなところであつた。
このような災害の発生を予防するため、会社は、種々の保安措置をとつていたが、右予防の必要性は、争議中であつても平常時と変りがない。それ故にこそ、会社と組合とは、労働関係調整法第三六条の規定に従い、前記のとおり争議中の保安協定を結び、安全の確保に努めて来たのである。
3 本件争議が行なわれた昭和四〇年四月末当時における川崎製油所の在庫油量は、LPガスが七二六キロリツトル、原油・ジエツト燃料油、揮発油等第一石油類(引火点は摂氏二一度未満)が一〇万四、〇七九キロリツトル、燈油・軽油・重油等第二、第三石油類(引火点は、前者が摂氏二一度ないし七〇度未満、後者が摂氏七〇度以上)が三万八、三〇二キロリツトルであつた。
そして、右争議中、保安要員が引き揚げられるまでの間、組合から五七名の保安要員が提供され、各係において三直二交代制(一二時間勤務して二四時間休養する。)により、一直計一九名で昼夜の別なく勤務し、石油精製装置・配管の圧力調整、漏油の早期発見とこれに対する応急措置、劇毒薬物の安全管理、自然発火・電気スパーク等による発火の早期発見と応急措置等の保安業務に当つていた。
4 保安要員の引揚後は、製造部の部課長八名と非組合員一一名(そのうち七名は嘱託で、いずれも五五歳以上の高令者であり、しかも、そのうち二名はタンク車の運転手であつて、十分に保安作業を行なうことができなかつた。)とが保安業務に当つた。なお、当時、総務課所属の保安係二四名(大部分が警察、消防の出身者)が警備、消防関係の保安に従事し、下請業者である志村興業の従業員四―五〇名がタンク車、ローリー車への製品積込作業、廃油・漏油の汲上作業、道路・便所の清掃等雑役に従事していたが、これらの者は、精油装置の取扱に関する知識・経験がなかつたため、保安業務(特に応急措置)を代行することは不可能であり、また、本社又は他の営業所から川崎製油所に保安要員を派遣することは困難な状況であつた。
5 会社のロツクアウト実施により、製油所の操業は停止するに至つたが、第一常圧蒸留装置を除く殆んどの精油装置内には、運転中と同様に石油類、LPガス等が内蔵され、それに伴い相当の内圧が保持されていた(ただし、熱油がないこと及び油の移送が行なわれないことの二点においては、操業時と異つていた。)。
製油工場の災害の大部分は、大気温の変化等による右内圧の上昇、設備の破損・能力劣化等により石油・LPガスが大気中に漏洩する場合又は右内圧の低下により装置・配管内へ空気が侵入する場合に発生する。右漏洩及び吸気現象は、操業の一時停止中にも発生するものであり、現に、本件争議中である昭和四〇年五月一三日第五ポンプ室と七二三番タンクとを連結する地上配管の内圧上昇に伴う伸縮接手部の破損により、同所から揮発油が漏洩し、約二〇〇リツトルが地上に滞溜する事態が生じている。また、操業の停止中における特異な危険性として、内圧の相違する塔・槽間に、操業時では考えられないような圧力の異動が引き起されることがあり、本件争議中である五月八日に、ガス回収装置の一部であるソーダ分離槽内のLPガスの圧力が五キログラム(一平方センチメートル当り。以下同様。)から二一キログラムに上昇するという事故が発生した。操業時においては、ソーダ分離槽(運転圧力一一キログラム)のLPガスをポンプで昇圧し、脱エタン塔(運転圧力三五キログラム)へ送り込む工程となつていたが、操業の停止下において、両者を接続させている配管のバルブの漏洩により内圧が逆異動したことによつて、右事故が発生したものと考えられる。右分離槽の最高許容圧力は二二・七キログラムであるから、前記圧力上昇の発見が遅れたならば、同槽の破裂・爆発ということも有り得たのであるが、右事故は、保安要員の引揚前に発生したため、保安要員により発見され、応急措置がとられて事なきを得た。
ところで、前記漏洩等災害の発生原因があり、さらに着火源がある場合に、はじめて火災が発生する訳であるが、川崎製油所においては、操業が一時停止の状態でも、左記のとおり多くの着火源が存在した。
(1) 静電気
LPガスが漏洩する場合、静電気を発生させるので、その放電火花が火源となる。つまり、LPガスの漏洩自体が火災につながる訳である。
(2) 硫化鉄
硫化鉄は、石油中に含まれる硫黄分と装置に用いられる鉄鋼との接触により、装置・機器・配管・タンク等の内部に生成され、装置・配管等の損傷により空気に触れると、急速に酸化反応を起して燃焼する。
(3) 電気スパーク
本件争議時の通電状態は、各装置の専用動力源が、装置及びポンプ室に隣接してある第二次変電所において切断してあるのみであり、構外から構内にある第一次変電所及び第一次変電所から第二次変電所に至るまでの間には、三、三〇〇ないし二万ボルトの高圧電力が通電されていた。また、第二次変電所においては、電圧を一〇〇ないし二〇〇ボルトに落し、各装置・タンク地区・道路等製油所内全域にわたり照明用配線がすべて架空配線により通電されていた。したがつて、各変電所内の受電盤及び通電回路においては、操業時と同様に電気スパークの危険が存在していた。
(4) ウエスト
ウエストは、漏油及び油汚れ等の処理に用いられる布であり、使用後のウエストを空気中に放置して置くと酸化発熱し、自然発火の原因となる。製油所では、使用後のウエストは所定のごみ入れに捨てることになつていたが、本件争議時においても、争議前及び争議中に使用されたウエストが相当量ごみ入れにたまつていた。
(5) 衝撃
地震・落雷・衝突・落下等による衝撃は、前記漏洩と同時に着火源をもたらす。
(6) その他
製油所のほぼ全域にわたり貯蔵タンクが設置され、また、これらを連結する配管が張りめぐらされていた関係上、隣接工場・道路・水路等に直面するタンク・配管からの漏洩は、隣接工場等に存在する火源により災害を発生する。
6 製油所に設置された左記安全保持設備は、すべて保安要員が管理していたが、保安要員の引揚により次のとおり影響を受けた。
(1) 検知設備
検知設備とは、各装置・タンク等の内部に貯蔵されている石油及びLPガスの状態を示す設備であり、圧力計、液面計、温度計及び流量計をいう。検知設備が異常な指針を示せば、内圧の上昇、内容物の漏洩等災害発生の原因が生じたことになるから、その監視は、保安要員の重大任務である。
右設備は、計器連動用エアーにより、集中コントロールルームである計器室に連動され、集中監視できるようになつている。さらに、異常事態が発生した場合には、異常警報装置が作動するようになつており、このような態勢下において、各部署の保安要員の人数が決定されていた。
ところが、動力課給水係の保安要員の引揚により、空気圧縮機が停止し、計器連動用エアーの供給が止つたため、集中監視機能は停止するに至つた(ただし、温度計は、電気により連動されていた。)。したがつて、右引揚後においては、検知設備の監視には、数多くの現場の設置場所(高さ一〇ないし四〇メートルの塔や槽の上部又は底部に取り付けられたものもある。)まで行かねばならず、保安業務が増大する結果となつた。
(2) 緊急放出設備
緊急放出設備とは、装置・タンク・配管等の内圧が異常に上昇した場合、右圧力を迅速に放出して正常圧に戻し、火災・爆発の危険を未然に防止するための設備であり、安全弁、フレアスタツク装置、ブローダウンスタツク装置をいう。
安全弁は、各装置・タンクの上部に合計一〇四個が設置され、内圧に応じ自動的に開閉するのが通常であるが、弁の腐食あるいは異物の侵入等により作動状態が不安定となることが少くない。このような場合には、保安要員が安全弁を手動で操作する必要があつたが、その引揚後は、要員の不足により適切な措置がとれない状態となつた。フレアスタツク装置は、装置等から多量の排気ガスが出た場合、これをフレアスタツクの頭頂部で着火燃焼させ、排ガスが少量の場合には蒸気を吹き込んで拡散放出させるものであり、操作は手動である。ブローダウンスタツク装置は、ブローダウンドラムから発する石油ガスを蒸気で拡散させるとともに、石油を冷却水で冷却し回収する装置で、操作は手動である。両装置とも保安要員の引揚後は蒸気の供給が止まり、また、要員の不足により、機能は大幅に劣化した。
(3) 不活性ガス注入設備
右設備は、操業の一時停止時においてのみ使用されるものであり、前記(1)の検知設備により各塔・槽の内圧の減少を発見した場合に、窒素等の不活性ガスを注入し、内圧を保持させる機能を有する。
本件争議中接触改質装置部門においては、ほとんど毎日窒素ガスを注入していたが、保安要員の引揚後は、人力の不足により注入が行なわれず、右設備の機能は大いに劣化した。
(4) 蒸気供給設備
右設備は、蒸気の噴霧により、漏洩した油、ガスを拡散し、漏洩物と火源との接触を断ち、また、初期消火の機能をも有する。漏洩の際の応急措置として最も有効適切な手段であり、各装置及び操油課各ポンプ室に合計九八箇所設けられていたが、保安要員の引揚により蒸気の供給が止まつたため、右機能は全く停止した。
(5) 消火設備
イ 海水揚水ポンプ
海から海水を吸み上げ、これを固定式海水消火装置及び固定式泡消火装置に供給する装置で、六基あつた。水は、火災発生の際の鎮圧・類焼予防用あるいは温度(内圧)上昇の際の冷却用となるため、右装置は、継続運転が絶対の条件とされていた。
保安要員の引揚後は、二名の嘱託者が昼夜交代で運転したが、東京電力からの通電が切れた場合には、後記(6)のとおり自家発電設備が停止していたため、右装置の動力源をデイーゼル駆動に切り換える必要があつた。しかし、保安業務に当つた会社側の前記一九名中デイーゼル運転の経験者は一名のみであつたから、右装置を昼夜継続運転することが困難な状況にあつた。
ロ 消火栓及び消火器
製油所内の随所に、前記海水ポンプから送水されて来る消火栓が九八箇所あり、また、四八四個の消火器が設置されていたが、前者は二種類あり、後者は事故の態様に応じて数種類があつた。しかし、保安要員の引揚後は、人力の不足により、右設備を巡視点検する時間が減少し、また、災害発生の際、同設備を効率的に使い分けることが困難な状況となつた。
(6) ボイラー、保安電力設備
イ ボイラー
製油所では、石油精製用蒸気及び防消火用蒸気を生成するため四基のボイラーが設置されていた。安全保持設備としての蒸気は、前記のとおり、漏洩した石油・LPガスへの引火防止のための噴霧用、消火用、フレアスタツク・ブローダウンスタツクの噴射用のほか、装置・配管内の油・ガスのパージ用、緊急時における油移送用ポンプの駆動用、自家発電用タービンの駆動用等多目的に使用されていた。したがつて、組合は、本件以前の争議行為の際も保安要員を提供してボイラーの運転を継続させていた。
組合は、昭和四〇年五月六日の団体交渉の席上、会社がロツクアウトを行なえば組合が保安要員を全員引き場げる旨を言明し、また、同月八日付組合発行のビラにおいても、右方針に従うことを報じていた。そこで、会社は、保安要員の引揚が行なわれない間にボイラーを停止することを決意し、同日午後五時前ロツクアウトを通告するとともに火止め作業に着手し、翌日ボイラーの運転は停止した。なお、保安要員の引揚前に右火止め作業に着手した理由は、次のとおりである。すなわち、動力課の非組合員は三名(いずれも嘱託の高令者)で、そのうちボイラー技師の免状を有するのは一名のみであるため継続運転することは不可能であり、他の非組合員、本社関係者中運転できる者は皆無であつたこと、ボイラーの運転を停止する場合には、保安上徐々に温度を下げる必要があり、そのため最低二四時間を要するのであるが、右作業を保安要員により行なわなければならなかつたことによるものである。
ロ 保安電力設備
製油所では、東京電力からの買電の停電時に備え、ボイラーからの蒸気の供給によりタービンを駆動し、毎時一、五〇〇キロワツトの発電能力を持つ自家発電設備を稼働させ、常に製油所内に通電が停止することのないように配慮されていた。
しかし、保安要員の引揚により蒸気の供給が停止されたため、自家発電設備の稼働は不能となり、もし買電停止の事態が発生したならば、製油所内の電気設備機能は停止し、人力の不足と相まつて、災害事故に対し無防備に等しい状態となつた。なお、全停電時のため、照明用電力としてバツテリーが用意されていたが、使用可能時間は二〇分程度であつた。
(三) ピケツト
成立に争いのない乙第三五号証、前記渡辺、駒井、沢田各証人、原審証人市岡徳三郎の各証言及び右証言により成立(検甲乙号証については前記付陳事実)を認め得る乙第三〇号証、検甲第六、第七号証、検乙第一〇ないし第一二、第四〇ないし第四二、第四七ないし第五八号証によれば、次の事実が認められる。
前記甲第五四、第一二一号証、原審証人菊地清一の証言及び被控訴人五十嵐、同昼間の各原審尋問結果中右認定に反する部分は前記疎明と対比して措信し難く、他に同認定を動かすに足りる疎明はない。
1 会社がロツクアウトを実施した翌日である昭和四〇年五月一〇日の午前八時ごろ、数十名の組合員は、第一工場正門前にスクラムを組んで数列に並び、これをかき分けて門内に入ろうとする会社の役職者、非組合員(嘱託を含む)を押し返し、また、これらの者に対し、「ばかやろう」「会社の犬め」等の罵声を浴びせた。そのため、非組合員らは、正門から入構できず、ある者は貨車門を乗り越えて入構したが、このような妨害は、翌一一日及び一二日にも繰り返された。
2 同月二五日に結成された新組合の組合員約六〇名が、翌二六日午後一時ごろ第一工場正門から就労のため入構しようとしたところ、旧組合員一〇〇名余りが、被控訴人三名の指揮の下に、四列横隊でスクラムを組みピケツトを張つていた。新組合員らは、旧組合員らを突いたり、押したり、蹴つたりしてピケツトを突破しようとしたが、押し返され、その間に両組合の指導者間で入構をめぐり激論が交わされた。
このような状況が約三〇分間続いたが、新組合の沢田委員長は、右正門からの入構が不可能と判断し、第二工場の裏門から入構するべく新組合員を裏門に向わせた。そこには、旧組合員約二〇名が二列横隊にピケツトを張つており、これを突破しようとする新組合員との間で前同様相互に突き、押し、蹴りが続けられたが、正門にいた旧組合員約一〇〇名が応援に来たため、入構は不可能となつた。
その後、旧組合の応援に来ていた全石油の菊地執行委員長から、新組合の執行部に対し、新組合の就労問題につき旧組合の三役をまじえて話し合いたいとの申入があり、右会合が開かれたが、成果はなかつた。
そこで、新組合員は、同日の就労を断念したが、翌二七日から二九日までの三日間は、会社が調達した船を利用して海上から入構し、就労することができた。
3 本件争議のため、昭和四〇年四月末製品の出荷は全面的に停止するに至り、以後は精油の委託先から得意先に製品を配送する状態であつた。そのため、内陸各油槽所の操業度は極端に低下したので、会社は、同年五月二八日製油所に対し、川俣油槽所向けにローリー車の出荷を指示した。
翌二九日午前一〇時ごろ出荷のため下請運送会社のローリー車二台が第一工場正門から入ろうとしたところ、見張をしていた数名の組合員中三名位がスクラムを組んで立ちふさがり、間もなく駈けつけた三―四〇名の組合員がピケツトを張り、さらに、自動車の周囲にしがみついたり、運転席の戸を開き運転手に罵声を浴びせたりして入構を妨害した。
このような状況下で、ローリー車は、三〇分位の間に約二メートル進むことが出来たが、さらに進行しようとするならば、運転手が危害を受けるおそれも出て来たので、会社は、ローリー車の入構を断念した。
会社は、同日午後一時過ぎ再度ローリー車二台の入構を試みたが、四―五〇名の組合員による頑強なピケツトに会い、罵声を浴びせられたため、入構を断念せざるを得なかつた。
会社は、翌三〇日にローリー車四台の出荷を計画し、同日午前一〇時ごろまず二台が第一工場正門から入構しようとした。その時、組合員一名が発進したローリー車の前に立ちふさがろうとしたが、職制に阻止されたため、二台の車は入門できた。積荷を終えた車が出構しようとしたところ、二―三〇名の組合員が正門前にピケツトを張り、タイヤの下に足を入れたりして車の進行を妨害した。
そこで、会社は、同日午前一一時ごろ一〇数名の非組合員を集めピケツトを排除しようとしたが、双方の押し合いとなり、そのうち、さらに二台のローリー車が到着して入構しようとしたので、ピケツトを張つていた組合員の約半分が新着の二台の進路に立ちふさがり、運転台に上つて運転手に罵声を浴びせたり、二台の車の狭い間隙にわざと入るなど危険な動作をしたりして車の進行を妨害した。このような妨害を非組合員の手により排除しながら、四台の車は、同日正午ごろ漸く出入構を終え、後から来た二台が午後一時半ごろ出構する時も、前同様組合員の妨害を受けたが、約二〇分を要してこれを排除することができた。
会社は、翌三一日には出荷をせず、同六月一日及び二日には、ローリー車の台数を増して隊列を組み、非組合員の協力により、組合員の妨害を排除して車が通れる程度の道幅を作つては車を微速前進させ、車の前進が妨げられると、車を止めた上、再び道をあけて車を微速前進させることを繰り返し、出入構することができた。
同月三日以降は組合員による出荷妨害はなかつた。
(四) その他
被控訴人五十嵐の原審尋問結果及びこれにより成立を認め得る甲第四八、第四九号証、前記駒井証人の証言及びこれにより前記付陳事実を認め得る検乙第一ないし第九、第四〇、第四一、第四五号証に弁論の全趣旨を総合すれば、組合員数名は、昭和四〇年五月一九日近藤社長、成島専務取締役、駒井勤労部長、沢山第一販売部長の各私宅を訪問し、争議に至つた事情や組合員の要求を主人に伝えてほしい旨を記載した文書(甲第四八号証と同様のもの)を家族に渡してその趣旨を説明したこと、組合は、右争議中第一工場正門脇その他所内の数箇所に赤旗数本を立て、道路わきにある会社の万代塀、タンク車、標示板等に「不当配転反対」「アメリカはベトナムから手をひけ」等と記載したビラを貼り、また、多数の組合員は、同趣旨の内容を記載したゼツケンを着用したことが認められる。
控訴人は、「前記私宅訪問の際、組合員が家族に面会を強要した、会社は、組合員に対し、ゼツケンの取り外しを再三命じた。」と主張するけれども、この点に関する疎明はない。
三 (一) 以上の認定事実によれば、組合の争議行為として保安要員全員を引き揚げたことは、川崎製油所における人命の安全保持施設の正常な維持・運営を停廃・妨害する行為であり、その結果、火災・爆発等が発生する危険を著しく増大させ、製油所のみならず付近工場群に出入する多数の人命に危害を与えるおそれのある事態を生ぜしめたのであるから、労働関係調整法第三六条に違反することが明らかである。しかも、右行為は、会社と組合との間に結ばれた保安協定に違反するものであり(被控訴人五十嵐は、原審・当審尋問において、被控訴人三名は、右引揚当時同協定の存在を知らなかつた旨供述するけれども、措信するに足りない。)、一箇月もの間違法行為を継続したのであつて、その情状は極めて重いというべきである。
また、前記ピケツトによる非組合員、新組合員等に対する入構阻止及びローリー車に対する出荷妨害の各行為は、いずれも平和的説得の範囲を大きく逸脱した暴力の行使であり、違法な争議行為と言わざるを得ない。
(二) 会社の就業規則によれば、懲戒解雇事由として、前記第一一〇条第四号(会社の指令命令に従わず故意に職場の秩序をみだした者)のほか、故意に業務に支障を来たさせた者(第一〇九条第二号)、故意に会社の信用を損うような行為をした者(同条第五号)、第一〇九条ないし前条の違反行為を行ない情状最も悪質な者(第一一〇条第一六号)が挙げられていることが、前記甲第二号証により認められる。
被控訴人三名は、前認定のとおり、違法な争議行為を企画、指令又は実行したのであり、しかも、右争議の主たる目的(高山配転の撤回と一体をなす事前協議制の確立要求)は平和義務に違反するものであり、争議行為の態様及び会社に与えた損害の大きさ等を考慮すると、その情は極めて重いものと認められる。したがつて、同人らには、前記就業規則上の懲戒解雇事由が存するものと言うべく(前記二(四)の各行為は、それ自体懲戒解雇事由に該当するものとは認め難い。)、同人らに対する解雇が権利の濫用であるとの同被控訴人らの主張は理由がない。
(三) 同被控訴人らは、組合執行委員を異動する場合事前に組合と協議する旨の協約が昭和三九年五月三〇日会社と組合との間に結ばれているところ、右「異動」には「解雇」を含み、同被控訴人らの解雇に際し協議がなされていないから、右解雇は無効であると主張する。
右協約が締結された事実は、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第三号証、乙第四七号証、第六二号証の三、前記渡辺、駒井各証人の証言及びこれにより成立を認め得る乙第六二号証の一・二に弁論の全趣旨を総合すれば、組合は、右協約締結に先き立ち、従業員全員につき、採用・出向・転勤・解雇等を行なおうとする場合に事前協議の対象とすることを要求していたが、会社と話合いの結果、右対象の人的範囲を執行委員(九名)だけとし、事項の範囲から採用と解雇とを除外して異動だけとすることに合意し、前記協約が成立するに至つたこと、しかし、会社は、慎重を期して、被控訴人三名の解雇に関する協議を二回にわたり組合に申し入れたが(右申入の事実は争いがない。)、組合は解雇に反対するのみであり、協議が打ち切られたことが認められる。前記甲第五四号証及び被控訴人五十嵐(原審)、同昼間(原審・当審)の各尋問結果中右認定に反する部分は、前記疎明と対比して措信しない。
右認定によれば、前記事前協議の対象に解雇は含まれていないのであるから、被控訴人三名の前記主張はこの点において失当である。
(四) 同被控訴人らは、また、本件解雇は、同人らの行なつた本件争議に対する報復であり、不当労働行為であるから無効であると主張する。
しかし、前認定のとおり、被控訴人三名の企画、指令等により違法な争議が実行され、その情が極めて重く懲戒解雇事由に該当すること、また、新組合の結成は、旧組合の闘争方針に批判的な組合員の総意によるものであり、会社の介入によるものではないことを総合すれば、前記甲第五四号証及び被控訴人五十嵐(原審)、同昼間(原審・当審)の各尋問結果中右主張に副う部分は、いずれも措信し難く、他に同事実を認めるに足りる疎明は存しない。
したがつて、本件解雇が不当労働行為であるとの主張は理由がない。
(結論)
以上の次第で、被控訴人四名に対する懲戒解雇はいずれも有効であり、被控訴人らの本件仮処分申請は、被保全権利の疎明がないことに帰する。また、保証をもつて疎明に代えることは相当でないものと認められるから、本件仮処分申請はいずれも失当として却下すべきものである。
よつて、右申請を認容した原判決を取り消した上、同申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条一項本文の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡辺一雄 田畑常彦 宍戸清七)